1: : 2016/11/18(金) 01:54:19.78 ID:lk4EDHnK0
どうりでこのラプラスイベントをはじめとした、ユーザーの目線を無視した糞運営なわけだわw
全世界で大流行している人気スマートフォンゲーム「ポケモンGO」の開発リーダーは、なんと“ゲーム素人”の30歳エンジニアだった―。
1年で最もチームワークを生かし、顕著な業績を残したチームを表彰する「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2016」の表彰式が16日、都内で行われ、最優秀賞に「ポケモンGO」の開発、運営に携わった米国のナイアンティック社、ポケモン社(東京都港区)などのチームが最優秀賞に選出された。
多くの関係者が舞台に上がる中、開発リーダーを務めた野村達雄氏(30)も姿を見せた。野村氏の正式な肩書はゲームディレクターおよび、プロダクト部門のシニアマネジャー。司会者にポケモンGOを開発した理由を問われると、「人を外に連れ出す、いろんな年齢の人にプレーしていただく。僕は今30歳でまさにポケモンをプレーしていた世代。僕らの世代はポケモンが大好き。みんなアニメ、映画見て育った。自分が『サトシ』になったような妄想もした。だから、ポケモンファンの夢を叶えるようなプロジェクトを立ち上げたいと考えていた」と語った。
あいさつに立ったポケモン社の宇都宮崇人(うつのみや・たかと)専務執行役員は、ゲーム開発秘話を披露。「うちの社長は石原恒和というのですが、この案件をスタートするのは非常に悩んだ。当時、野村さんは28歳。グーグルマップのエンジニアでゲーム作ったことのない人だった。ただ、石原は、野村君がトップをやるんだったらポケモンは乗ると言った」とスタート時の舞台裏を明かした。
大胆な決断を下した石原社長に対し、宇都宮氏は「すごいこと言う人だなと思った。自分の社長を褒めるのなんですが、すごいなと思った。しかも他の会社のことによく口出すなぁと…」と感想を述べると、会場から笑いが漏れた。「それで(野村氏は)初めてゲーム作った。そうすると、みんなサポートするしかない(笑い)。とてもチャーミングな人なので、みんな喜んでサポートした」。司会者が、さらに話を振ろうとすると、野村氏は「そろそろ、僕以外の話を…」と照れた。
「ポケモンGO」を日本や米国ではなく豪州からサービスを始めたことについて、野村氏は「このゲームはサーバーが後ろにあって、みんなが一斉にそこにアクセスする。そこでどのようにユーザーが伸びるか見ながらやらないと、いきなりアメリカで始めると、サーバーが落ちる危険性があった。人数が比較的制限されていて、なおかつ英語圏で、プロモーションが把握しやすい場所を選んだ」と打ち明けた。デモンストレーションは一般公募した数万人に、かなり不完全な状態で行ったという。
続きは以下
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161117-00000060-sph-soci
1年で最もチームワークを生かし、顕著な業績を残したチームを表彰する「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2016」の表彰式が16日、都内で行われ、最優秀賞に「ポケモンGO」の開発、運営に携わった米国のナイアンティック社、ポケモン社(東京都港区)などのチームが最優秀賞に選出された。
多くの関係者が舞台に上がる中、開発リーダーを務めた野村達雄氏(30)も姿を見せた。野村氏の正式な肩書はゲームディレクターおよび、プロダクト部門のシニアマネジャー。司会者にポケモンGOを開発した理由を問われると、「人を外に連れ出す、いろんな年齢の人にプレーしていただく。僕は今30歳でまさにポケモンをプレーしていた世代。僕らの世代はポケモンが大好き。みんなアニメ、映画見て育った。自分が『サトシ』になったような妄想もした。だから、ポケモンファンの夢を叶えるようなプロジェクトを立ち上げたいと考えていた」と語った。
あいさつに立ったポケモン社の宇都宮崇人(うつのみや・たかと)専務執行役員は、ゲーム開発秘話を披露。「うちの社長は石原恒和というのですが、この案件をスタートするのは非常に悩んだ。当時、野村さんは28歳。グーグルマップのエンジニアでゲーム作ったことのない人だった。ただ、石原は、野村君がトップをやるんだったらポケモンは乗ると言った」とスタート時の舞台裏を明かした。
大胆な決断を下した石原社長に対し、宇都宮氏は「すごいこと言う人だなと思った。自分の社長を褒めるのなんですが、すごいなと思った。しかも他の会社のことによく口出すなぁと…」と感想を述べると、会場から笑いが漏れた。「それで(野村氏は)初めてゲーム作った。そうすると、みんなサポートするしかない(笑い)。とてもチャーミングな人なので、みんな喜んでサポートした」。司会者が、さらに話を振ろうとすると、野村氏は「そろそろ、僕以外の話を…」と照れた。
「ポケモンGO」を日本や米国ではなく豪州からサービスを始めたことについて、野村氏は「このゲームはサーバーが後ろにあって、みんなが一斉にそこにアクセスする。そこでどのようにユーザーが伸びるか見ながらやらないと、いきなりアメリカで始めると、サーバーが落ちる危険性があった。人数が比較的制限されていて、なおかつ英語圏で、プロモーションが把握しやすい場所を選んだ」と打ち明けた。デモンストレーションは一般公募した数万人に、かなり不完全な状態で行ったという。
続きは以下
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161117-00000060-sph-soci